第三回 金川進という板前

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昭和43年、金川進は静岡県富士宮市に生まれた。周りの友人同様に夢はサッカー選手で、両親が共働きであったため小学校低学年から自分の食べるものは自分で作っていた。料理人になることは意識しなかったが、料理することが当たり前にあり続けたことが、自然と金川を調理系の高校に進学させた。
 
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高校卒業後、金川は地元の和食レストランを皮切りに、千葉の懐石料理屋、銀座の高級料亭と10年間に渡り修行した後、熱海の旅館に勤務し副料理長へと就任する。この時の料理長の厳しい指導の元、煮方として苦労したことが、後の自分の味付けにつながったと金川は考えている。
 
 
 
 
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2006年夏、金川は群馬に新しくできる旅館の料理長の話を知人から聞かされた。東京の懐石料理店から副料理長として熱海の旅館で働いていた金川にとって、山に囲まれた水上は今までにないステージである。さらにその旅館は、客室がたったの二室だと言う。大型旅館における作り置きの料理方法に不満を感じていた金川は、家人の地元である栃木で料理店を出そうと考え始めていた。
 
「勉強になりそうな新しく始まる事業の現場」
「少ない客室ゆえの作り立ての料理提供」
「器から自分で選ぶ料理長としての仕事」
 
ここなら自分の理想とする料理が作れるかも知れない…
知人からの話は金川にとって、やりがいを感じるものであった。
 
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「別亭 やえ野」が始まった当時、宿主の阿部直樹は36才。37才だった金川進とも年齢が近く、子供が生まれたばかりと互いの境遇もよく似ていた。二人とも物静かなタイプだが、信念があるという意味では相通じる部分が多かった。
 
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現在は四室となる阿部がつくった宿「別亭 やえ野」は、オープン時は離れ形式の客室が二室だけという今までにないスタイルを持っていた。客室はそれぞれに違う間取りと意匠を与えられていたが、いずれも余裕のあるスペースと専用の客室風呂を持つ極めて贅沢なつくりだ。3万円となる宿泊代も含め、安価な大型旅館が多い水上温泉では数少ない高級宿に見合う料理。金川はまず地元の食材業者をまわりながら、どこから何を仕入れるかを探り始めた。

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食材の調達は金川が思ったよりも困難だった。「水上温泉」では業者自体の絶対数が少ない。結果、業者間の競争が殆どないため、自分で納得できる食材が中々手に入らない。旅館が建ち並ぶ熱海では、伊豆・箱根から様々な業者が競って売り込みに来たのである。金川は地元の業者に粘り強く細かい注文を出し続けた。
yaeno_3-7_s1はじめに使っていた海の魚は「マグロは要らないんじゃない?」の客の一言から止めた。「お客さんは、この土地のものを求めている」と痛感した金川は、地元の良質な食材を求め自ら探しまわった。魚は今ほど有名でなかった群馬の高級ニジマス「銀ヒカリ」をはじめ、イワナ、アユ、イトウなど川魚だけを使用する。絶対的な種類が限られる問題は、調理方法を様々に変えることで対応する。全てではないが、野菜は自家菜園で栽培したものも使う。部屋数が少ないことも食材確保の面では有利に働いた。
 
茸類は名人が採る専門業者から直接仕入れる。肉は、榛名山麓で育てられる「増田牛」を使用。有名だが脂の多く柔らかな「上州牛」と比べ、滑らかであっさりとした脂を持ち、旨味と歯ごたえのある赤身の肉質を持っている。
 
限られた種類だからこそ食材そのものに質を求めるし、様々な形で料理することに意義が生まれる。「みなかみ」の土地は、新しい料理を生み出す金川に機会とやりがいを与えたのである。

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宿に泊まる客にとって食事は大きな楽しみの一つ。それが高級旅館であればいやが上にも期待は高まる。「二室の宿だからこそ、できること」オープン以来、阿部と金川は料理を中心に様々なことにこだわってきた。
 
旅館の懐石料理は、定められた順序に従って料理を運ぶコース料理である。意識の高い宿であればあるほど、温かい料理は温かく、冷たい料理は冷たいままで提供するすることにこだわりがある。それには、言うまでもなく持ち運ぶタイミングも大きな要となってくる。通常は客室係として1名のスタッフが、3〜4室の客室を担当しながら客の食べ進む頃合いを見はかる。それが「別亭 やえ野」では、1名の客室係が1室だけを担当する。これにより厨房で待つ金川には、客室係より極めて正確な進行具合が伝わるのである。
 
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厨房の扉に貼られた部屋数分の献立表には、客室係が金川たち厨房スタッフに声を掛けながら次の料理が何分後とメモを入れる。その客室係も食べるのが早い客に合わせるか、主賓の速度に合わせるかを常に考えて管理している。
「さっきのお客様、次は5分後と言ったけど7分後に変更ね」食べてもらう時がその料理の最高の状態であるために、様々な料理を同時に調理しながら、金川はその細かな注文に今日も正確に応えている。
 
料理を盛りつける「器」選びには、若女将の意見が大きく取り入れられる。渋くゴツッとした皿を選びがちな金川に対し、若女将は繊細で艶やかな皿を選ぶ。それもまた金川の美意識を刺激し、次なる料理のイメージへと繋がっていくのだ。
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宿主の阿部いわく、同じ肉を焼いても金川と他の板前では同じ味にならないのだと言う。大型旅館の「焼き方」として数えきれない程ステーキを焼いて来た経験からくる火力、焼き具合などの加減に金川ならではの技術が出るのである。
「この料理はどうやって作るの?」客に聞かれると金川は、大切なレシピをこともなげに教えてしまう。客を喜ばせたい気持ちはもちろんだが、板前の料理は板前の技術があってこそ作れるものであることを知る金川らしいエピソードである。
 
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18で料理の道に入って以来、金川は他の仕事には目もくれなかったと言う。仕えた料理長たちの立つ場所へ憧れ、そこに俺も立ってやるという気持ちのままに進んだ修行の日々。そして自分だけの料理を作り、評価されてきた「別亭 やえ野」での仕事。
 
脂の乗った板前は、今日も厨房で包丁を振るっている。
 
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18歳で和食の道に進み、熱海のリゾートホテル副料理長を経て、2006年「別亭 やえ野」料理長就任yaeno-7_s1
水上温泉 別亭やえ野 http://yaeno.jp/
〒379-1725 群馬県利根郡みなかみ町綱子356