日本料理には独特の儚さがある。四季の食材で季節を感じることも理由の一つだが、板前が気を配った火加減、鋭い切り口、短時間しか持たない繊細な飾りの数々がそう訴えかけてくるのだ。群馬県・水上温泉の旅館「別亭 やえ野」の料理は、出てきた今こそが食べる時だと感じさせる説得力を持っている。艶やかな彩りと透明感あふれる美しい盛付け。食べ進むごとに運ばれる皿上には、料理人の美しい感性が溢れている。
2006年の開業以来、同宿の料理長を勤める作り手の名は「金川 進 かながわ すすむ」。そこには華やかな料理からは想像できない、朴訥で優しい面差しの板前がいた。
金川の作る料理の盛り付けの大きな特徴は、吟味して配色された料理と器の精緻な組み合わせだ。写真の「焼き霜造り」では、高級ニジマス「銀ひかり」の紅色と、水菜・アボカドの緑が皿の色味と一体となり、ラディッシュが可愛らしいアクセントとして添えられている。また、シャキッとした歯ごたえの水菜やラディッシュと、口の中でホロッと崩れる「銀ひかり」は食感的なバランスも考えられている。
「酢物」では、鮮やかな器のオレンジを映す透明な「葛水仙」に、白い「長芋」と紅白の「才巻き海老」がバランスよく盛りつけられ、その上にオクラと海苔の緑が器の縁のグリーンと連続する一文字に散らされている。トロリとした葛、シャキッとした長芋、柔らかな海老の身、歯ごたえと粘りのあるオクラが交わる食感と味が見事なのは言うまでもない。
「牛肉の朴葉焼き」は、一口大に切られた具材が味噌の上に可愛く並べられているのが特徴だ。食べやすさを考えてのものだが、味噌を付けすぎないことで具材の味を生かす工夫でもある。牛肉と具材はあらかじめ鉄板で焼いてあり、焼台は保温と味噌を香ばしく焼くためにある。彩りはアクセントのシシトウを除き全て茶系の食材だが、少しずつ異なる色目が変化を与えている。同じ茶系でも渋めの朴葉と鮮やかな焼き台の色目を見事に調和させている。
「すぐに食べてしまいたい」高まりと、「食べれば消えてしまう」儚さを持った料理たち。見た目の美しさと味わいが高い次元で両立したこれらの献立は、金川の手により毎月新しく変更されていく。
18歳で和食の道に進み、熱海のリゾートホテル副料理長を経て、2006年「別亭 やえ野」料理長就任 |
毎月変わる山水の献立は、西井と大山の打合せで決定される。新しい食材の活用法など、西井からのリクエストを受けながら大山は基本となる献立を考案する。一旦完成したレシピとともに大山は毎月泊まりがけで山水に訪れ、厨房で二人による試作と調整が行われる。
ブラウンのアーモンド焼き、小豆と栗のういろうなど山川の幸を盛った先付け。青竹や枯葉、稲穂などで飾りながら季節を伝える。
新鮮なブラウンを糸造りにして、紫蘇と梅胡麻で和えた造り。透明なガラス皿が、魚の生まれ育った清廉な川の水を表現する。
手づくりの菓子とアイスクリームに、季節のフルーツを合わせるデザート。内容は季節で変わるが、可愛いサイズで三種類が皿に乗る。
試作は、器選びから始まる。素朴な食材を「ご馳走」にするために、もともと西井は器や盛付けに関しても、関東の旅館の一等地である箱根で高級旅館の料理長を務めていた大山の経験と感覚を多いに取り入れたいと考えていた。専用倉庫に敷き詰められた膨大な種類の中から、女将を交えた三人で料理毎の一皿が順番に選ばれる。山水の料理で使われる器の種類は、他の旅館と比べても際立って多い。様々な彩りや形を持つ器は、食べる側の食欲や美意識に作用するが、料理づくりのモチベーションやイメージを高める役割も果たす。大型旅館であればまとまった個数か必要なのはもちろんのこと、収納しやすい形状であることや、割れにくい強度の高さなど様々な制限がある。だが僅か五室であり、西井が料理長兼オーナーである山水は違う。形状の面白さや彩りの美しさなど、本質的な魅力だけで器を選べるのである。
選ばれた器が厨房に並べられると次は調理だ。仕込みは大山から事前に送られたレシピを元に西井が済ませてあるので、この工程では盛付けの仕方とボリュームの調整が主な作業となる。盛付けは見た目の美しさや食べ易さを考慮し、何回も調整しながら決定される。土台となる食材の選定で立体感を出したり、仕上げの葉もので彩りをあしらうなど作業は実に細やかだ。互いに大柄な体躯の西井と大山の手から、次々と精緻な料理が生み出される様は、見ていて不思議な気分にさせられる。
料理のボリュームも、前後の皿との流れを考えながら調整されていく。食べ応えのあるメインの皿の前後は、さっぱりとした味付けや量を抑えた皿で繋ぐのは大山のこだわりだ。
精密な作業ではあるが二人の間の空気は極めて賑やかだ。調整する料理の変化に応じて、冗談を交えながら互いに意見をどんどん出し合っていく。料理の出来映えを高め合う彼ら独特の間合いは、信頼できる仕事仲間であると同時に、友人、兄弟で交わされる会話そのもののようにフランクだ。よき参謀であり理解者である大山の力を得ることで、西井は料理への想いを存分に追求して行ける。例えればそれは、名作と呼ばれる漫画の原作者と作画者の関係に近いのかもしれない。
高崎で修行後、家業のドライブインを継ぐ。2007年リニューアルの「茜彩庵 山水」の庵主兼料理長 〒370-1403 群馬県藤岡市保美濃山875 |
肉は上州和牛(じょうしゅうわぎゅう)。群馬の豊かな自然環境のもとで、優秀な血統を持つ黒毛和種を独自の飼料で大切に育てる安心・高品質の名産牛である。水の奇麗な神流川では「鮎」が、支流の「船子川」では、群馬のブランド鱒「銀ヒカリ」に岩魚、ブラウンなど良質
な川魚が手に入る。嬬恋のキャベツをはじめ、逞しい野菜類は群馬の最も得意な食材だ。まるで餅米が入っているようなモチモチとして食感の米は、高山村の「銀河高原ファーム」より直接仕入れる。味噌と醤油は地元「桜井味噌店」と「高橋みそ店」の長期に熟成させた「伝田郷みそ」を使うことにした。日本酒は藤岡市内にある三つの酒蔵より、ワインは秩父のものを取り揃えた。住んでいると何も無いと思っていた地元は、外から見れば大山の言葉どおり食材の宝庫だったのだ。
群馬の名産牛である「上州和牛」と、藤岡で採れる季節の野菜を炭火で香ばしく焼いたメインの皿。ミネラル豊かな利根川水系の水と、環境に合わせた独自の飼料で飼育される「上州和牛」は、柔らかな舌触りと風味に優れ、牛肉ならではの贅沢な旨さを堪能できる。藤岡の景勝地三波石峡(さんばせききょう)で採れる天然記念物の銘石「三波石(さんばせき)」を皿に見立て、地元ならではの食材の魅力を伝えている。
自家製の湯葉で包み込んだ胡麻豆腐の煮物。豆腐・湯葉といったシンプルな食材により、土地の水そのものの良さを表現。ジャガイモを桜の花びらに見立てて散らした餡が、豆腐の味をいっそう引き立てている。ワラビをそえて季節を演出。淡い色の料理と艶やかな緑と金の器の彩りの調和も美しい。
「この甘さはフルーツ」と絶対の自信を持つ、スライスした藤岡産の「設楽のトマト」とモッツァレラチーズ。辛子酢味噌を合わせることで、素材の美味しさを最大限に引き出したシンプルな酢の物としている。「山水」の料理は、とにかく野菜を美味しく食べることに重きをおいている。素朴な風合いに鮮やかな朱を塗った器が愛らしい。
食材の仕入れが大筋固まると、大山の指導のもと西井は自らの調理技術の底上げに取り組むことになる。日本料理の第一線で活躍してきた大山の提案する「茜彩庵 山水」の献立は、西井にとって想像以上に手の込んだものだった。たとえば料理に使う餡ひとつとっても、以前は一種で良かった物が、これからは料理毎に何種類もつくり分けることになる。また、それらを五組それぞれの客の食べるスピードに応じて、最適なタイミングで調理して運ぶ必要がある。オープン当初の西井は一日がかりで仕込みを行い、調理も料理を出し始めて終わるまで三時間もかかることがあったという。
なんとか料理の準備も整ったリニューアル後、すぐに来てくれた客に出した献立の造りは「岩魚」だった。高いお金を払ってくれる客に対し、味に自信はあるとはいえ高価な海鮮食材を使わずに大丈夫だろうか?一抹の不安を拭えない西井に対して食べ終わった客が一言。
「岩魚が良かったよ、群馬に来てマグロなんか食べたくなかったからね」
郷土の食材を最大限に生かした懐石料理。山水で出す料理の方向性は完全に定まった。
高崎で修行後、家業のドライブインを継ぐ。2007年リニューアルの「茜彩庵 山水」の庵主兼料理長 〒370-1403 群馬県藤岡市保美濃山875 |
西井聖事は、今の「茜彩庵 山水」がある群馬県多野郡鬼石町(現:藤岡市保美濃山)に生まれた。下久保ダムとともに神流湖ができ、道路が整備されると実家は「ドライブイン山水」を始めることになる。
忙しく立ち働く父と母を見ながら、西井は自ずと長男である自分がここを継ぐのだと考えていた。高校を出た西井は調理師専門学校に入るため東京へ行き、卒業後、和食店で本格的な修行を開始する。厨房の雑務をこなす追い回しに始まり、焼き場、煮物づくり、魚を裁き刺身を盛るなど経験を積みつつあったが、予定よりずっと早い3年半というタイミングでドライブインに呼び戻されることになる。
連日賑わうドライブインの客は、観光客やダム工事の業者客。作って出す料理は、カツ丼や天丼が主なものとなる。宴会客が入れば多少手の込んだ料理は出すが、まかりなりにも日本料理店で修行した西井の心には、板前の仕事への想いがくすぶっていた。
そうして何年かが過ぎた頃、ドライブインは徐々に勢いを失っていく。近くに大きな「道の駅」が出来たのだ。時を同じくして、近隣の知人の旅館が斬新なリニューアルを遂げて成功し始めていた。自らがそうであるように、いずれ継ぐ子供たちのためにも繁盛する店を築いておきたい。西井は山水をドライブインから、五室だけの本格的な高級旅館「茜彩庵 山水」としてリニューアルすることを決意する。
立地は元々ロケーションに優れた湖畔の側。宿のモダンな和の佇まい、館内の設えも申し分ない。ラウンジ、客室、食事処のどこからでも一望できる神流湖の美しい眺めは、ハードとしての最大の特徴である。であれば、ソフト面での最大の売りは「料理」だ。まして高級旅館をつくるのだから、生半のものでは済まない。西井は山水のリニューアルにあたり、施設と同様に自身の料理をステップアップさせる必然性を感じていた。
そうして建築計画が進む中、西井は設計事務所を通じて一人の人物と出会うことになる。
有限会社 和心紡 取締役「大山広幸」。いくつもの懐石料理店、有名高級旅館の料理長を経て独立。料理献立の考案をはじめ、調理師の派遣・紹介、厨房設計など多岐に渡って活躍する料理のトータルアドバイザーである。
仕事をはじめるにあたり二人はいきなり対立する。若い頃に修行した本格的な懐石料理への想いから、マグロやヒラメなど海の魚を使おうとしていた西井の考えを大山は一蹴したのだ。
「ここで宿をやるならば、地産地消にこだわるべき!」と主張する大山。
「この辺には旨いものなんて何も無い!」と反対する西井。
意見はまっぷたつに分かれたが、ともかく二人は連れ立って地元にある食材を探し始める。
高崎で修行後、家業のドライブインを継ぐ。2007年リニューアルの「茜彩庵 山水」の庵主兼料理長 |
群馬県・藤岡市に流れる利根川水系の「神流川」。関越自動車道「本庄児玉インターチェンジ」から、緑色の濃い川に沿って車を走らせれば、冬と春、年に二回咲く天然記念物の冬桜をはじめ、深い緑に覆われた山々が徐々に姿を現してくる。その先にあるかつて鬼石町と呼ばれた小さな町「保美農山」には、下久保ダムによって生まれた湖「神流湖(かんなこ)」がある。広い空の表情をまるで水墨画のように湖面に映し、春になれば湖周辺には「染井吉野」や「八重桜」が咲き誇る。あまりに静かで雄大な水景を眺めていると、ここが都心からわずか100kmの距離に位置することを忘れてしまいそうになる。
この神秘的で美しい湖を一望する宿「茜彩庵 山水(せいさいあん さんすい)」の料理長兼庵主が、今回紹介する板前「西井聖事(にしい せいじ)」である。
アスパラづくしの先付八寸は、削り節をのせた「ピリ辛揚げ煮」、上州もち豚で巻いて松田マヨネーズの特製ソースをかけた「焼き」、桜チーズをそえた「茹で」と、三種類の食べ方で食材の変化を楽しむ。「驚くほど」と料理人が自信を持つ、甘みのあるアスパラ自体の旨さを徹底的に味わう一皿。手折った桜の小枝も春らしさを伝えてくれる。
上質な川魚の生息地である神流川の支流「船子川」で採れる、サケ科の「ブラウントラウト」の酢の物。おぼろ昆布と和えることで、淡白で上品な身肉に旨味が加わる。散らした桜型の長芋やグリーンピースにシソの葉も味と彩りに変化を与えている。酢は胡麻酢を使うことで爽やかな酸味とともにコクを効かせている。
水が冷たく魚の身が引き締まる「船子川」で成長した「岩魚」に、梅肉を和えることで川魚の臭みを消した造り。梅は日本で二番目の生産量を誇る群馬の名産品の一つでもある。柔らかい岩魚の身肉と梅肉に、蛇の目に切った胡瓜をそえることで歯応えと彩りにアクセントをつけている。土台に敷いた葉山葵も涼感を誘う。
季節の変化と食材を大切にした、可憐とも言える繊細な料理と裏腹に、西井自身は人なつこい笑顔と朗らかな冗談で相手を笑わせるタイプだ。しかし明るく快活なその人柄からは、照れくささを隠しながら周りに気を配る優しさがにじみ出ている。
そんな西井には、40歳を過ぎて学び直した本格的な日本料理への想いと郷土のこだわりがある。
高崎で修行後、家業のドライブインを継ぐ。2007年リニューアルの「茜彩庵 山水」の庵主兼料理長 〒370-1403 群馬県藤岡市保美濃山875 |
職場を離れた吉池は趣味人だ。今もツーリングに出かけるバイクをはじめ陶芸もやる。「しげの家」で出す料理の皿のいくつかは、吉池自身の手による物だ。年に一回程度だが窯焚きを手伝うかわりに、自分で土を練った器を一つ二つ一緒に釜に入れてもらい焼いている。数こそ少ないが、始めてもう20年、茶や花を勉強することが料理や器にも生きてくると考えている。
ここで、「しげの家」女将の視点を交えて見た料理長「吉池照明」の姿を紹介する。
女将いわく吉池は、アレルギーを持つお客様には、その食材を使わずとも美味しい献立を個別に考えてくれると言う。好き嫌いへの申し出にも文句を付けつつ素晴らしい料理を作り上げてくれる。料理を運ぶ女将には、馴染み客の好みが見えてくる。そこを板場に伝えることでその客専用の献立が出来ていく。結果として、客にとっては言葉にできない居心地の良さを感じてもらえるのだ。
女将が他で食べて美味しかった食材や料理を取り入れたい時も、吉池はそのまま作るのではなく「しげの家」としての料理に落とし込んで表現してくれる。吉池自身は基本があるのでアレンジできると事も無げに話す。
そして長年の関係にも関わらず、自分を始めとする仲居たちを驚かせるような料理がいつも板場から出てくるという。吉池は、宿に来る客が何を求めているのか、料理の方向性を考えながら常にアンテナを張っている。料理を運ぶ女将と仲居の反応と意見は「客の意見」と捉え、まず彼女達を驚かせたり喜ばせたいと向き合っている。そして苦言こそ褒め言葉と捉え、次の料理に向けた糧とする。
自分のタイミングで出来立てを出す料理と違い、宿は客と自分の間に入るスタッフがキーとなる。持ち運ぶ料理の説明はもちろんだが、客の反応や意見を板場へと持ち帰ってくれることが何より大切なのである。家庭では普段は捨ててしまうブロッコリーの芯を味噌漬けにするなど、意外な食材を懐石料理に取り入れるのも吉池の特徴だと言う。主婦でもあるお客様に身近な食材を目新しい形で出すことで、「家でもやってみたい」と好評を呼んでいる。吉池自身にとっては、客に喜んでもらいたい気持ちとともに、食材を無駄なく使うこと、どんな食材も作り方で「ご馳走」になることを伝えたいのだ。
本来「馳走」とは走り回る意味の言葉であり、「ご馳走」とは客人のために自分の足で食材を集め、手間をかけて作る料理のことだ。そして「ご馳走さま」は、料理でもてなされた客からの感謝を表わす言葉である。
「しげの家」の献立は季節毎に変わるが、リピーターや連泊も多いため実際には細かく内容や盛付けを変えている。馴染み客が多いのは嬉しいことだが、その分献立の発想には頭をひねる。一度目は料理に感激してくれたお客も、二度三度になると感動は薄れてくるものだ。吉池は、その日その日の料理を常に自分のベストの味にしたいと努力している。
単なる「いただきました」より、「ご馳走さま」と言ってもらえる料理を作るために努力します。そう言って吉池は言葉を結んだ。
長きにわたって料理長を勤めて参りました吉池は2017年度より相談役として調理に携わることになりました。総監督として豊富な経験と技術を活かし、よりご満足いただける料理旅館を目指して精進して参ります。新料理長には吉池の右腕として12年務めて参りました「山田勝」が就任致しました。吉池とともに守ってきたしげの家の味を継承し、更なる進化を遂げるべく邁進中です。
高山の日本料理店にて修行を重ね、1985年より2016年まで故郷の宿「しげの家」料理長を務める |
時代の流れとともに客層は男性客から女性客へ、接待から旅そのものへと目的も変わった。吉池は「今のお客様」がしげの家に求めるものを頭に描きながら、食材に調理方法はもちろん器に至るまで先代の趣味から料理を変化させてきた。品数の多さでなく「思い出に残る一皿」、「また食べたい」と思ってもらえる料理を考え、メイン料理を「しげの家名物」と命名した。また、夕食の品数も二汁五菜で十分だと考えている。一つ一つの料理の中にも調理と盛付けは、自らが積み重ねた日本料理の基本「五色、五味、五感、五法」の約束ごとを考えて作っている。
また、一つひとつの食材に対しても、「走り・旬・名残」に合わせた調理方法がある。例えば色合いに優れる「走り」の食材は、ツマを合わせたり吸い物に使うなど見て楽しむ要素を重視する。「旬」の食材は、素材そのものの味を楽しんでもらうためにシンプルな調理と盛付けを与える。そして「名残」の食材には、味をつけることで変化を楽しんでもらう。今は敬遠されがちな「初鰹」なども、昔はよく食べていた食材としてお客さんに味わってもらいたいと言う。
吉池の料理に感じる要素の一つに、ツマの見事な「飾り切り」や、食材に丁寧に入れた「隠し包丁」がある。日本料理の持つ伝統と美意識を感じさせてくれる技術だが、あくまで年配客の食べ易さを考えてのことで、飾りのために多用しているつもりはないと呟く。
食材の仕入れは、長年の付き合いで信頼関係を築いた魚屋・八百屋に任せているが、山菜は自ら採りに行くこともある。信州という土地柄ゆえ珍しい食材は手に入らないが、美味しい野菜が手に入るので、ツマまで食べてもらえる努力をしている。
基本は地元産の野菜を使うが、質の良い物が県外に出荷される時は旬に合わせて産地を変えざるをえない。吉池は、地元産にこだわって鮮度の低い食材を使うよりも、その時期無理なく出会える食材で上手く料理しようと考えている。
「アレルギー」と「好き嫌い」の違いに悩むこともある。食べると重大な事態を招くアレルギーを回避することは料理人として当然の義務だ。しかし単なる好き嫌いであれば、駄目だと決めつけるのではなく、ぜひしげの家の味を試して欲しいと思っている。食に関わる仕事人だからこそ、食べる人にも食事とは殺生であり、食べ物の大切さを知って欲しいと願うのだ。
高山の日本料理店にて修行を重ね、1985年より故郷戸倉上山田温泉の宿「しげの家」料理長に就任 |
長野県千曲市を流れる千曲川の左岸。明治中期に開湯し、善光寺参りの精進落としの湯として賑わった戸倉上山田温泉。そして昭和30年代の後期、散髪に出向く父に連れられ、大勢の観光客で賑わう温泉街を歩く少年の姿があった。大勢の観光客に向けた遊技場や飲食店、店先のガラス棚に並ぶ模型など、街中は少年にとって飽きることの無い遊び場でもあった。家の周辺は野山に包まれ、「桑の実」や「あけび」をおやつに友人たちと駆け回る。冬は、掘りごたつの灰に入れて焼いた「ニンニク」のホクホクとした味が忘れられないと言った。
中学を出た吉池は、名古屋では珍しかった叔父の営む山菜料理店にて1年働く。その後、「将来のためにちゃんとした所で修行した方が良い」と叔母のすすめで高山にある大きな日本料理店へと移ることになる。店の特色は、「飛騨の小京都」と呼ばれる城「高山」の郷土料理。初代は地元の名店で修行を積み、生粋の高山料理とともに一代で自分の店を大きくした。そして京都の有名料亭で修行を重ねた二代目は店に京懐石の感性と技術を持ち帰った。様々でいながら正統的な日本料理を出すこの店で、本格的な修行を始めたことが自分の料理の基盤となったと吉池は語る。
朝は自転車で朝市に仕入れに出かけ、仕事終わりに鰹節を削るのが吉池の日課だ。一つ年上の先輩を良き競争相手とし、いつも負けないように頑張った。料理は「見て覚える」が当たり前で、「やってみろ」と言われたときには確実にこなせるよう常に心がけた。料理の修行は厳しかったが、世は高度成長期の最中であり楽しい時代だったと振り返る。
そうして5年が過ぎた頃、吉池は本店に隣接する出店を任される。高級懐石が主たる本店に対して、一般の人に日本料理を親しんでもらうための昼食が中心である。吉池は厨房内で本店の料理を手伝う一方で、出店では客前での調理を両立させた。カウンター越しで作る料理はごまかしがきかない。その分食べた瞬間の表情で「美味しかったかどうか」が読み取れた。このことが一番の経験だと吉池は言う。
高山のこの店で13年間を過ごした吉池は、子供が生まれることをきっかけに故郷「戸倉」へと戻る決意をする。知人に紹介された新しい職場は、温泉街で一番大きな団体旅館。毎日大勢の宿泊客が訪れる中、調理場では1日に300から500食もの夕食が、流れ作業で作られて行く。午後の二時から揚げ始める天ぷらなどは、夕食時には当然すっかり冷めてしまう。「これは料理ではない」長らく料理屋で働いてきた吉池にとっては、全てが戸惑いの連続となった。「旅館には行くなよ」高山の店を辞める時の二代目の一言が頭をよぎっていた。煮方として調理場の二番手になり、4年目に差し掛かろうとした頃、吉池に新たな転機が訪れる。
戸倉上山田温泉に「しげの家」という一風変わった宿があった。
元々は主(あるじ)自らが包丁を振るっていた宿だ。料理人として本格的な修行こそしていないが、客を喜ばせるための創意工夫を凝らしていた。例えば、今では珍しくない朝食に出す「茶碗蒸し」も、当時は贅沢な「もてなし」として話題になった。主に変わり調理場に入った初代料理長は長く勤めあげたが、二代目の時にトラブルが起こる。正月を迎えるための忙しい年末の仕込みを前に急にスタッフが足りなくなったのだ。騒然となる宿を後に、主は料理人を探すべく奔走した。そこで聞きつけたのが、同じ温泉地で料理人としての将来を考えあぐねていた吉池の噂だった。悩む吉池に早く来いとせっつく主、ここから料理長として30年近いキャリアを重ねる宿「しげの家」との出会いは、そんな慌ただしい出来事がきっかけとなる。
当時の「しげの家」は、現在の女将の父親である初代の好みとバブル期の勢いが重なった「金ピカ」な指向だった。客層も男性を中心とした接待客が多く、料理も酒に合わせた「豪華」な食材が売りだった。周辺の宿が軒並み鉄筋コンクリートの近代旅館として大型化する中、図面まで出来ていた「宴会場と客室を増やして4階建てにする」女将の計画を「そこまでする気はない」と中止させた。以来「しげの家」は、絢爛と洗練が調和した設えとともに、木造八室の小体な佇まいのままである。「俺は宿で客を呼ぶから、お前は料理で呼んでみろ」。自分に料理を託してくれた初代の言葉が、今も忘れられないと吉池は言う。
高山の日本料理店にて修行を重ね、1985年より故郷戸倉上山田温泉の宿「しげの家」料理長に就任 |
日本料理にはいくつかの基本となる考えがある。
「五色」白・黒(紫)・黄・赤・青(緑)… 料理や器に盆、添える葉や花の五つの色合い
「五味」甘い・塩辛い・酸っぱい・苦い・辛い … 献立全体のバランスを考えた五つの味覚
「五感」焼く・煮る・揚げる・蒸す・生(切る)… 会席料理の献立に含まれる五つの調理法
「五法」色合い・音・香り・温度・味 … 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感のバランス
強い個性を持つ「しげの家」の料理においても吉池はあくまでもこの基本を大切にしている。
エビイモの芋茎(ずいき)である「白だつ」に、色鮮やかな「みぞれおろし」を添えた涼しげな「夏の先附」。日本料理における高級食材の一つ「白だつ」の上品な柔らかさ。胡瓜をすりおろし、パプリカ・人参・胡瓜の角切りを和えた「みぞれおろし」の歯触り。桂に剥いた胡瓜を巻き戻した「鳴門胡瓜」と「房トマト」のしゃっきりした歯応えに、出汁に浮かべた「じゅん菜」のとろみ。美しい色合いと様々な食感が存分に堪能できる一皿。
色合い、佇まいともに季節でまったく異なる表情を見せる「秋の先附」。丁寧に炊き上げた旬の「きのこ」をミキサーにかけ型に流し込んで作る「きのこ豆腐」に、食べ易いように酒蒸しにしたアワビをのせて秋らしい濃厚な味わいとしている。「そばつゆ」を使ったタレは、醤油や味噌だけを使うなどシンプルにアレンジする時もある。渋い色味と豊かな表情を持つ器と合わせることで、料理の持つ重厚な風格と軽妙な遊び心の対比もいっそう際立つ。
林檎・信州サーモン・アボガドを手製のドレッシングで和え、練り込んだ胡麻酢のソースをかけて中身をくりぬいた「柿」に盛りつけた膾(なます)。林檎のシャキシャキした歯応えに、サーモンやアボガドのねっとりとした食感が絡み合う。胡麻酢ソースのコクや柿の実の甘みが、林檎やドレッシングの酸味を程よく抑えている。料理にそえる「柿の葉」は、器では再現できない自然界の鮮やかさを表現するために苦労して自ら拾い集めている。
そのままだと見た目に地味な山菜だが、食用花の一種である「エディブルフラワー」を合わせると、椀の蓋を開けたときの美しい色合いに目を奪われる。山菜やかんぴょうなどの具材は、それぞれが丁寧に味付けされ、野趣溢れる歯応えとともに滋味深い味わいで舌を楽しませてくれる。会席料理の食事は本来、止椀と漬け物で白飯を食べるが、「吉池」はそれではつまらないと考え季節に応じて寿司や雑炊、炊き込みご飯など独自の工夫を凝らしている。
料理に対する吉池のこだわりは他にも数多くあるが、全てが時代に応じ食の指向を意識ながら、日本料理の伝統技法を巧みに調和させている。
高山の日本料理店にて修行を重ね、1985年より故郷戸倉上山田温泉の宿「しげの家」料理長に就任 |
「美しく、力強い」。
長野県・戸倉上山田温泉の旅館「しげの家(しげのや)」の料理を食べると、いつもこの印象が沸き上がってくる。
素材の持つ鮮やかな色彩を主役に運ばれてくる料理は、組み合わされる器も変幻自在で、シンプルな形に華やかな柄が来たかと思えば、大胆な造形に渋い色目と存分な変化に富んでいる。
そして盛付け、味の両面において、足すことと引くことの絶妙な案配が客をうならせる。
そこには、オーソドックスに見えて印象に残る新しさ。新しく見えるようで裏側に息づく伝統の技法が散りばめられている。
それぞれの料理の大きさ一つをとってもそうだ。素材の歯応えと旨味を知り尽くした熟練の技術をベースに、こちらを飽きさせない遊びが随所に見え隠れしてくる。
「豌豆(えんどう)すり流し」に、「桜海老道明寺」が鮮やかに浮かぶ「吸物椀」。「独活(うど)」や「茗荷(みょうが)の子」の白が、緑と赤のコントラストを程よく調和させている。出汁と溶け合う「えんどう豆」の自然なコクと舌触り、桜海老真丈の上品な甘みともちっとした歯応えが堪らない。独活と茗荷の苦みや辛味も味のアクセントになっている。
主役の一つである「造り」は、自信みなぎる正統の佇まい。切り口の鋭さが素材の新鮮さと包丁技の冴えを物語る。彩りに心を配った精巧な盛付けと、艶やかな器の組み合わせが本道を感じさせてくれる。魚介はもちろん信州の食材ではないが、献立の流れの中で何一つ違和感を感じさせない。本格的な会席料理の正当性と味そのものが説得力に溢れている。
本来、職人の腕を見せにくい「しゃぶしゃぶ」のこだわりは出汁。上質な「本枯節」のだし汁に加え、鍋にたっぷりの「しじみ」を入れることでたまらない旨味を引き出す。菊の花の黄も鮮やかなアクセント。とろけるような霜降りの牛肉が旨いのはもちろんだが、透けるほど薄くスライスされた根菜類が、軽やかな歯応えとともに口の中を楽しませてくれる。
30年近く「しげの家」の料理長を務める作り手の名は「吉池 照明 よしいけ てるあき」。穏やかな職人に見えるこのベテランは、実はやんちゃで挑発的だ。鉄壁の技術をベースに、豪速球も変化球も縦横無尽に織り交ぜてくる。「これにこれ合わせると旨いんだよ」「この歯応えを楽しむには、大きさはこれしかないよ」言葉数の少ない本人の想いは、料理を通じて存分にこちらへと語りかけてくるようだ。
高山の日本料理店にて修行を重ね、1985年より故郷戸倉上山田温泉の宿「しげの家」料理長に就任 |